SSBJ開示の義務化、準備は2年前から
小池 心平
SUSTAINABLE DISCLOSURE EXPERT
アスエネヴェリタス株式会社 取締役CCO
環境関連企業のコンサルティング部⾨を経て、KPMGあずさサステナビリティにて、統合報告書、サステナビリティレポートの第三者保証業務、GHG排出量の検証業務に従事。 サプライチェーンGHG排出算定や環境法規制調査‧対応⽀援や環境DDなどのアドバイザリーを経験。 監査法⼈トーマツでCSRD/ISSB等のサステナビリティ開⽰アドバイザリー、ESGマテリアリティ評価やTNFD開⽰⽀援に従事し、アスエネヴェリタスの設⽴に参画。 現在は、GHG排出量の第三者保証、サステナビリティ開⽰規制対応のほか、TNFD開⽰、SBT FLAG認定取得⽀援などの⾃然関連開⽰のコンサルティングを⾏う。
2026年3月、キリンホールディングスがSSBJ基準に準拠したサステナビリティ関連財務開示を、日本企業として初めて公表した。日本語版と英語版の同時公表で、ガバナンスとリスク管理、一部の指標については第三者保証を取得している。同社への適用義務は2028年からであり、義務化に先行しての開示だ。
制度の開始は目前に迫っている。しかし、いつまでに何が求められるのかが社内で正確に共有されていない企業は、いまも少なくない。この記事では、アスエネヴェリタス株式会社取締役CCOの小池心平が、適用までに何を準備すべきか、そして開示を経営にどうつなげるかを、コンサルティングの現場から整理する。
SSBJ対応で、何が変わるのか
まず、一つの誤解を解いておきたい。「SSBJ対応では、サステナビリティに関する新しい取り組みが求められる」というものだ。
実務上はそうではない。これまで自社が積み重ねてきた取り組みを、定められた基準に則って開示する。それがSSBJ対応の中身である。財務連結に沿ったデータ収集範囲の見直しなど、管理・開示作業が増える部分はある。しかし、取り組みそのものを刷新することが求められているわけではない。
変わるのは、開示の位置づけだ。サステナビリティ情報の開示は、これまで統合報告書などで任意に行われてきた。SSBJ基準に基づく開示は、有価証券報告書に記載される法定開示情報となる。求められるのは取り組みの紹介ではなく、自社のサステナビリティ関連のリスクと機会が、財務会計にどう影響し、経営戦略にどのように組み込まれているのかの説明である。
そして、意外に思われるかもしれないが、「これは欧州の話ではないか」「まだ先の話ではないか」と受け止められることも少なくない。しかし、基準に準拠したサステナビリティ情報の開示が制度として求められるのは、これが初めてになる。
2026年2月20日、企業内容等の開示に関する内閣府令等が改正され、東証プライム市場の上場企業について、平均時価総額の大きい順に適用されることが定められた。
- 2027年3月期:平均時価総額3兆円以上
- 2028年3月期:平均時価総額1兆円以上
- 2029年3月期:平均時価総額5,000億円以上(2026年1月の金融審議会ワーキング・グループ報告で示されたが、府令には未反映)
時価総額は、前期末から遡って過去5事業年度の末日における平均で算定する。第三者保証の導入時期は、それぞれの適用開始の翌期が予定されている。
もう一点、前提として押さえておきたいことがある。開示は結果である。サステナビリティ関連のリスクと機会を洗い出し、どう取り組むかを決め、KPIを設定して企業戦略に落とし込む。その結果として出てくるものが開示だ。順番が逆になると、開示の負担が増えるだけで企業価値の向上に寄与しなくなる。
なぜ、2年前から準備が必要なのか
当社では多くのプライム市場上場企業のSSBJ対応を支援している。その経験と、連結グループ単位でのデータ収集体制の構築にかかる期間を踏まえると、最低でも適用開始の2年前から準備が必要だ。
準備の中身は、大きく三段階になる。自社のサステナビリティ関連のリスクと機会を特定する。重要なリスクと機会について社内の管理体制や目標、指標を整備する。そのうえで、連結範囲のグループ各拠点から取組みの結果やデータを集めるプロセスを整備する。
このうち、時間がかかるのは三つ目だ。代表的な指標としてGHG排出量を例にとると、期日までにデータを出してこない拠点は、必ず出てくる。どこが滞るのか、何が原因なのかは、一年通して運用してみるまで見えない。入力してこない拠点を督促しながら、なんとかデータが集まる状態にしていく。この助走を経て初めて、本番年度に必要なデータがそろう。
したがって、適用開始年度の4月1日を迎えた時点で、すでにデータを集約できる状態になっているのが理想だ。そのためには前年度に運用を開始しておく必要があり、導入はさらにその前年度になる。前々年度に導入し、前年度に一年回す。これが「2年前から」の中身である。
この計算に当てはめると、2028年3月期に適用される企業はすでに運用年度を終えている。2029年3月期の対象となる見込みの企業は、いままさに準備年度のただ中にある。
ではなぜ、そこまでの仕組みが要るのか。決算を締めてから、連結グループ全体のサステナビリティ情報を集約し、開示できる形にまとめなければならないからだ。有価証券報告書の提出期限は、事業年度経過後3か月以内とされている。第三者保証への対応を踏まえて4か月への延長も検討されたが、経過措置としての二段階開示が2年間認められることなどから、現行どおり据え置く方向だ。
ここで誤解されやすいのが、システムの話である。問題は、システムがないことではない。環境管理のシステムは多くの企業がすでに導入しているし、人事情報を表計算ソフトで管理している大企業はないだろう。それぞれが個別のシステムを持っている。しかし、それらを接続する仕組みを整備している企業は多くない。これまでは接続させる必然性がなかったからだ。サステナビリティ情報を横断的に扱う統合プラットフォームが必要になるのは、このためである。
多くはミニマム対応。それでも数年後に問われるのは「中身」
現時点では、法令が求める水準への対応を目標に置く企業が多い。踏み込んだ開示を目指す企業もあるが、まずは基準に沿って過不足なく開示する。それが実情に近い。
先行する欧州でも、数百ページの報告書を作り、監査法人の保証を取得しても、それに見合う評価をステークホルダーから得られているのかという議論が出てきている。実際、欧州委員会は報告負担の軽減を目的とした法案を提出し、報告内容の簡素化に向けて調整が進んでいる。
では、開示の「品質」で差はつくのか。現時点では、品質という概念そのものがまだない。SSBJ基準をすべて満たさないと、準拠した開示として認められないルールになっている。
そのうえで、数年をかけて差はついていく。ただし差がつく場所が変わる。見せ方ではなく、中身で問われるようになる。
具体的には整合性である。あるテーマについてこういうリスクがあると書いたなら、それに対応する戦略があり、進捗を測る指標があるはずだ。この三つが整合しているか。さらに、サステナビリティ関連の重要なリスクとして挙げたものが「事業等のリスク」と関連しているか。中期経営計画などの経営方針と方向がそろっているか、情報のつながりが重要だ。
最後に押さえておきたいのが、開示するサステナビリティ情報の保証の範囲だ。第三者保証の対象は、当初2年間はScope1・2排出量、ガバナンス、リスク管理に限定される予定だ。保証水準は限定的保証とされている。戦略は、この範囲に入っていない。ただしこれは円滑な制度導入のための経過措置であり、将来は開示情報全体を保証範囲とすべきという意見も出ている。
ダブルマテリアリティの視点を、どこで使うか
SSBJ基準が対象とするのは、企業の見通しに影響を与えると合理的に見込み得る、サステナビリティ関連のリスク及び機会に関する情報である。環境・社会が企業財務に与える影響に焦点を当てる、いわゆるシングルマテリアリティの考え方だ。これは動かない。
そのうえで、実務の現場で企業の戦略構築を支援していて感じるのは、事業戦略に実効性高く落とし込むためには、その前段階でダブルマテリアリティの視点を経ることが有効だということである。
理由は二つある。
一つは、財務影響だけを起点にすると、そもそも論点が出てこないことだ。「人的資本のリスクと機会は何か」と問われても、答えはすぐには出てこない。自社の事業が人的資本の何に依存し、人的資本にどのような影響を与えているのか。それを整理して初めて、リスクと機会が見えてくる。この二段階の考え方は、2026年3月に公表された人的資本可視化指針(改訂版)にも、人的資本への依存・影響と、人的資本関連のリスク・機会という二つの視点として示されている。
もう一つは、絞り込みの場面である。経営に諮る段階で、「本当に重要なのはどれか」が必ず問われる。そのとき、財務影響が大きいか小さいかだけでは説明しきれない。自社が社会に与えている正負の影響を整理しておかなければ、何を重要とするかは決まらない。
繰り返すが、最終的な開示対象の選定はシングルマテリアリティに基づく。ダブルマテリアリティは、その前段の思考の整理として置くものだ。この順序を取り違えると、基準の求めるところから外れる。
いま着手できること
準備を進めるうえで、最も時間がかかるのは情報を集める段階である。
うまく進んでいる企業には、サステナビリティ推進部門・経営企画部門・担当役員の三者の関係ができている。サステナビリティ部門が旗を振るだけでは動かない。重要なリスクと機会やその財務影響は各部門と検討する必要があり、各部門と連携出来る体制作りが求められる。同様に海外子会社から情報を集める場面もあり、体制構築の横の広がりも重要だ。
サステナビリティ関連のリスクと機会を管理する体制と並行して、実績データを収集する体制を作ることも必要だ。開示のためだけでなく、指標と目標の進捗を見続けられる形で保持しておきたい。実績データ収集の体制構築はいまからでも着手できる。当社が取り組んでいるAIサステナビリティ統合プラットフォームも、まさにこの部分を担うことを目指している。
有価証券報告書を通じたサステナビリティ情報の開示が、市場から企業価値を測るための情報として本当に機能するまでには、制度開始後数年はかかるだろう。ただ、開示はあくまで結果である。依存と影響を整理し、リスクと機会を導き、取り組みとKPIに落とし込む。その過程で企業の取り組みそのもののレベルが上がっていくことが、この制度の本来の意義だと考えている。いまから一歩ずつ進めていけば、数年後にはその蓄積が企業価値の評価につながっていく。
EXPERT
環境関連企業のコンサルティング部⾨を経て、KPMGあずさサステナビリティにて、統合報告書、サステナビリティレポートの第三者保証業務、GHG排出量の検証業務に従事。 サプライチェーンGHG排出算定や環境法規制調査‧対応⽀援や環境DDなどのアドバイザリーを経験。 監査法⼈トーマツでCSRD/ISSB等のサステナビリティ開⽰アドバイザリー、ESGマテリアリティ評価やTNFD開⽰⽀援に従事し、アスエネヴェリタスの設⽴に参画。 現在は、GHG排出量の第三者保証、サステナビリティ開⽰規制対応のほか、TNFD開⽰、SBT FLAG認定取得⽀援などの⾃然関連開⽰のコンサルティングを⾏う。
