アスエネは、「経団連後援【東京大学/江守正多教授×アスエネCEO西和田登壇】気候変動科学と日本の気候変動世論のファクト、コストとCO2削減を両立するGXソリューションの紹介」と題したウェビナーを開催した。本記事では、気候科学者として国内外に広く知られる東京大学未来ビジョン研究センター・江守正多教授の講演パートを抜粋し、アフターレポートとしてお届けする。

「1.5度目標の現在地とその背景」「1.5度を超えた先の世界で考えるべきこと」「世界の排出トレンドと2つの注目動向」「日本人の気候意識の特徴」。企業のGX・サステナビリティ担当者が経営判断の前提として押さえておきたい気候科学の「現在地」を解説いただいた。

「1.5度目標」はなぜ、どのように決まったのか

気候変動対策を語るうえで欠かせない「1.5度目標」。この数字がどのような経緯で国際合意に入ったのかから、江守教授は話を始めた。

もともとの議論は「2度」だった

国際的な気候目標として最初に議論されていた数字は「2度」だった。1997年に欧州環境理事会が提案し、共通認識となっていく。転機となったのは2013年から2015年のUNFCCC(国連気候変動枠組条約)専門家対話だったと、江守教授は振り返る。

「以前議論されていた数字は2度なんですよね。産業革命前を基準に、2度で止めるべきだと。ところが2013年から15年の専門家対話で、2度はガードレールではないですよ、という認識が出てきた。2度より手前なら安全で、2度を超えたら危険、という意味ではないんです。もう既に危険は始まっていて、2度はもう絶対に超えちゃいけないディフェンスラインだと。だから本当はもっと手前で止めた方がいい、という認識が出てきたわけですね」(江守教授)

「規制ラインの内側にいれば安全」という線引きそのものが見直された、大きな転換だった。

小島嶼国の声が「1.5度」を条約に刻んだ

2015年のパリ協定で採択された文言は「2度より十分低く、1.5度に向けた努力を追求する」というものだった。1.5度が努力目標として条約に入った背景を、江守教授はこう説明する。

「1.5度が努力目標として入ったのは、小島嶼国や後発途上国が、もう2度では耐えられないんだと。自分たちは2度も温暖化してしまったら受け入れられないので、もっと手前で止めることをみんな目指してほしいと。その声が聞き入れられて入ったんです。ただこの時点では、1.5度って本当にできるのか、2度とどのくらい違うのか、よく分からなかった」(江守教授)

そこでIPCCが枠組条約からの依頼を受けて特別報告書を急遽作成し、2018年に公表する。江守教授はこれを「ものすごく前向きの報告書」と表現した。

「1.5度と2度のリスクの差は非常に大きいよと。2度よりも1.5度の方が、助かる命がずっと多い。しかも1.5度は達成可能であって、それだけじゃなくて、1.5度を目指すことを通じて、より公正で持続可能な社会への転換をする機会にもなる。オポチュニティになるんだと。そういう報告書が出てきたわけですね」(江守教授)

この報告書を受け、2021年のグラスゴーCOP26で「1.5度を目指す決意」が合意された。これが現在の国際的な気候目標の骨格となっている。

「1.5度超え」の意味──ティッピング現象と公正性

現状はどこまで来ているのか。EUのコペルニクス気候変動サービスのデータでは、直近5年の世界平均気温は産業革命前比+1.4度に達している。江守教授は、このままでは1.5度超えが現実になると指摘する。

「過去5年の平均で1.4度という、ギリギリのところまで来ています。このままでは2030年頃には1.5度に到達してしまう、ということですね」(江守教授)

「ティッピング現象」──元に戻せない変化が始まる

1.5度を超えることのリスクとして、江守教授がまず挙げたのが「ティッピング現象」だ。

「ティッピングというのは、今まで連続的に変化していたものが、ある温度を超えると、急激で元に戻せない変化が始まる、ということです。グリーンランドの氷床の崩壊であったり、西南極氷床の崩壊、永久凍土の広範な融解、サンゴ礁の広範囲な死滅であったりする。サンゴ礁については、既に超えたんじゃないか、ということも言われ始めています」(江守教授)

閾値を超えた後は、排出をゼロにしても元に戻せない。これがティッピングの最大のリスクだ。

「人権侵害」という視点

江守教授は、気候変動を公正性の問題としても位置づけた。

「原因に責任のない人たちが深刻な影響を受けるんだよ、ということです。自分たちはほとんど温室効果ガスを出していないのに、温暖化の影響で大変な被害を受ける。そういう脆弱な人たちが、理不尽にも大きな被害を受けていく。これはやっぱり、人権侵害として止めなくちゃいけない、ということですね」(江守教授)

2024年には国際司法裁判所が勧告的意見を出し、各国には気候変動対策を講じる義務があるとの見解を示した。

「1.5度を超えたところで社会が終わるわけ、世界が終わるわけではないんです。ただ、やっぱり1.5度というのは、色々な意味で重要な目安なのである、と」(江守教授)

現状の排出削減ペースは「1.5度ペースに全く足りていない」

世界全体のGHG排出量について、江守教授は率直に現状を指摘した。

「現状の排出削減ペースは、1.5度を目指すペースには全く足りていないんです。1.5度を目指すには、急激にゼロに向かって減っていかなくちゃいけない。それに対して実績はこうなっていて、最近また上がってしまっている。各国のNDCsが強化されて達成されたとしても、この1.5度のペースとの間には大きなギャップがある、というのが現状認識なわけです」(江守教授)

「世界が予定どおり1.5度に収まる」という前提だけに依存しない計画づくりが、ここから読み取れる論点だ。

「1.5度を超えた世界」で考えるべき3つのこと

1.5度超えが現実味を帯びるなかで、「その先の世界」をどう考えるかという議論も国際的に活発になっている。江守教授は3つの論点を整理した。

① オーバーシュート

「オーバーシュートは、1.5度を一時的に超えてしまって、そのあとCO2除去技術、DACCSと呼ぶんですけれども、これで大気中からCO2を回収して、気温を1.5度まで下げてくる、という考え方です。ただ、これは社会システムとして本当に実現可能なのか。その除去コストを誰が負担するのか、産業として成り立つのか、といった非常に大きな課題があります」(江守教授)

② 気候変動リスクへの適応/Loss & Damage(損失と被害)

「実際に1.5度を超えてしまった世界で、気候変動のリスクがどう顕在化するのか。あるいはそれが引き起こす災害に対して、国際社会がどう協調して被害を支援していくのか。これも大きなテーマとして議論されています」(江守教授)

③ 太陽光反射改変などの気候工学(ジオエンジニアリング)

「成層圏にエアロゾルを撒いて、太陽光を反射させるような技術ですね。研究を推進すべきだという機運は高まっていますが、一方で、国際的なガバナンスという観点では非常に大きなリスクを伴う技術なので、これをどうコントロールするかは極めて難しい問題です」(江守教授)

ただ江守教授は、こうした議論と並行して、脱炭素化への取り組みを緩めてはならないと強調する。

「どんなにオーバーシュートや気候工学の可能性を議論するにしても、一刻も早く世界の脱炭素化を達成すべきだ、つまり排出を減らすべきだ、という大原則は何ら変わらない。それを忘れてはいけません」(江守教授)

2つの注目トレンド:トランプ政権の影響と再エネの急拡大

トレンド①:トランプ政権による「気候変動対策の妨害」

注目すべきトレンドの1つ目として、江守教授は第2次トランプ政権の影響を挙げた。

「トランプ政権では、言ってみれば、気候変動対策を全力で妨害している、ということが起きています。再エネの普及を停止したり、化石燃料開発を促進したり、規制の弱体化・撤廃。大気汚染を防止する法律に基づいて温室効果ガスを規制するという、オバマ政権以降の解釈を覆す、ということもしている。研究機関・規制機関の弱体化、閉鎖。パリ協定はもう正式に抜けました。気候変動枠組条約も抜ける手続きが始まっていると聞きます。IPCCのアセスメントにも協力していない」(江守教授)

ただし、アメリカ全体の対策が止まるわけではないとも補足した。

「州とか企業のレベルでは、大雑把に言っても半分ぐらいの主体が対策を一生懸命行っています。テキサス州みたいに、価値観は保守なんだけれど、再エネの方がマーケットで選ばれて増えていく、ということも起きている。ただ国際的には、アメリカが今まで出していた資金が全部停止するので、途上国の対策ができなくなったり、国際機関の機能が弱体化したりが心配されます」(江守教授)

「これは今のトランプ政権の間はたぶんどうしようもないので、次の大統領がどうなるかにかかっている、というのが個人的な見方です」(江守教授)

トレンド②:再エネの急拡大──「ただし、ほとんど中国のおかげ」

もう一つの注目トレンドとして、江守教授は再生可能エネルギーの急拡大を挙げた。

「再エネが新規電源の主流になっています。世界全体、途上国も含めてです。グラフの青いバーが、各年に新規された再エネの設備容量で、がーっと増えている。グレーが火力と原子力で、これは減ってきている。新規に作られるものがほとんど再エネだ、というふうになれば、古い火力や原子力が閉鎖されて、いつかは全体がほとんど再エネで動くようになっていく、と予想されます」(江守教授)

ただし江守教授は、同時に気になる点も指摘する。

「注意しないといけないのは、これがほとんど中国のおかげだということなんですね。中国が太陽光パネルやバッテリー、電気自動車も含めて大量に生産して世界中に輸出し、国内でもものすごい勢いで増やしている。そのおかげで途上国でも増えてきた。ありがたいんだけれど、このまま中国依存が強まっていって大丈夫だろうか、というのは検討しないといけない課題だと思っています」(江守教授)

脱炭素の加速と、サプライチェーンの地政学的リスク。この二つが必ずしも同じ方向を向かない局面がある、という指摘だ。

日本人の気候意識──「リスクはわかっている、でも対策はしたくない」

講演の後半、江守教授は日本人の気候変動意識を国際比較の観点から分析した研究を紹介した。

「日本人の気候意識が低いのか高いのか。ある調査では日本は世界で一番低いと言われ、別の調査では世界と同水準だと出る。何が正しいのか、私自身もよく分からない。なので、過去10年に行われたいろいろな社会調査を全部集めてきて、全体的な傾向を見る、ということをやっています」(江守教授)

事実認識・リスク認識は世界と「遜色ない」

分析の結果、まず見えてきたのは、日本人の事実認識とリスク認識は決して低くないという点だ。

「気候変動は起きている、という事実認識は高い。人間が原因だという認識も、遜色ない程度。気候変動は危険・深刻だ、というリスク認識も、欧米に比べると割と高い方なんです。日本人のリスク認識、事実認識というのは、決して低くない」(江守教授)

「対策」になった途端に低くなる──日本の特徴

ところが、対策に関する認識になると状況が一変する。なかでも江守教授が日本の特徴として強調したのが、次の点だ。

「対策に関する認識になると、急に低くなるんです。追加の出費や消費制限、ライフスタイルの変容、政府の対策強化の支持など、これらは他に比べると顕著に低い。そして、対策しても気候変動は止められない、という認識の高さ。これが日本の特徴として顕著で、今後の日本企業のGXにどう影響するか、というところですね」(江守教授)

そして、江守教授は講演をこう締めくくった。

「気候変動どころじゃない、という状況もありますし、エネルギー安全保障で再エネやEVが増えていくトレンドもある。そういったトレンドに対して、日本人がどれぐらい前向きに取り組んでいけるか。この辺りをしっかり見ていかないといけないと思っています」(江守教授)

まとめ:講演から企業のGX担当者が持ち帰る視点

江守教授の講演からは、企業のGX・サステナビリティ担当者が経営の議論に活かせる示唆が随所にあった。最後に3点に整理する。

① 「1.5度超え」を前提に、「その先」まで視野に入れる

2030年頃の1.5度到達は、すでに現実的なシナリオとして語られている。オーバーシュート・適応・気候工学という「超えた先」の論点が国際議論の中心になりつつある今、排出削減という大原則を堅持しながら、超過を前提とした備えもあわせて考える局面に来ている。

② 再エネシフトは本物。ただし調達の地政学リスクをあわせて見る

世界的な再エネ拡大は確かなトレンドだ。一方でそのサプライチェーンの多くを中国が担っている現実があり、脱炭素の加速と地政学リスクの低減をどう両立させるかが、エネルギー調達戦略の論点になる。

③ 日本特有の「やっても無駄感」を組織の課題として扱う

リスクは認識しているのに対策意欲が低い、という日本特有の傾向は、自社のGX推進にもそのまま現れうる。「自分たちの取り組みがどんな変化につながるのか」を経営層・従業員に示せるかどうかが、取り組みを前に進める鍵になる。


ウェビナーアーカイブでは、アスエネ代表取締役CEO西和田の講演パートも公開中

本記事では江守教授の講演パートをレポートした。ウェビナー後半ではアスエネ株式会社 Founder 代表取締役CEO 西和田浩平が、日本のエネルギー自給率の低さ、最適エネルギーミックス、GX-ETSの実務論点など、経営に直結するGX戦略を解説している。全編はアーカイブにて公開中。

アーカイブはこちら:https://asuene.zoom.us/webinar/register/WN_LPjQW6N9ToSmwNcMxPFcfw


本記事は、アスエネ主催ウェビナー「経団連後援【東京大学/江守正多教授×アスエネCEO西和田登壇】気候変動科学と日本の気候変動世論のファクト、コストとCO2削減を両立するGXソリューションの紹介」における江守正多教授の講演パートをもとに構成しました。発言は、趣旨を保ちつつ読みやすさのため一部を整理しています。