2026年2月13日、都内某所で開催された「Sustainability Roundtable」。サステナビリティ推進を担う実務担当者が集い、制度対応の最前線と向き合う場である。

本レポートでは、その一セッションを取り上げる。登壇したのは、NXグループ(NIPPON EXPRESSホールディングス株式会社)執行役員の岸田博子氏。テーマは「SSBJ対応に向けた取り組みと課題」だ。

制度は整備されつつある。しかし現場では、Scope3の壁、データ精度の問題、社内浸透の難しさといった“実装の現実”が立ちはだかる。巨大組織は、どのように可視化を進め、意思決定を行っているのか。質疑応答では、担当者ならではの切実な問いも投げかけられた。

巨大グローバル企業の実装プロセスから、制度対応のリアルを読み解く。

NXグループが直面するサステナビリティのリアル

◼️登壇者プロフィール
岸田博子様
NIPPON EXPRESS ホールディングス株式会社
執行役員 サステナビリティ推進部担当兼サステナビリティ推進部長
1992年 日本通運株式会社 入社
2022年 NIPPON EXPRESS ホールディングス株式会社 サステナビリティ推進部長
2024年より現職

NIPPON EXPRESSホールディングス(以下、NXグループ)は、世界57カ国に3,000以上の拠点を持ち、従業員数は76,000人を超えるグローバルロジスティクスカンパニーだ。自動車輸送、鉄道利用、航空、海運と多角的な事業を展開し、グループ全体の売上高は現在2兆5,700億円を超えている(2024年12月期)。

2022年、日本通運株式会社を主軸とするホールディングス体制に移行し、企業ブランドも刷新。アイコンも長年親しまれてきた『マルツー』から『NX』に統一された。岸田氏は現在、全拠点の全従業員に加え、100社を超えるグループ会社を横断するサステナビリティ推進を担っている。「部員たちと毎日、世界中から集まる膨大なデータや課題と向き合い、試行錯誤を重ねながら、サステナビリティ推進に取り組んでいます」(岸田氏)

「利益に直結しない活動」から「事業継続の前提」へ

サステナビリティ推進は長年、社会貢献の文脈で捉えられてきた。しかし近年、物流業界では状況が大きく変化している。岸田氏の挙げた転機は、「荷主企業からの要請」だった。

「従来、サステナビリティへの対応は、『利益に直結しない活動』と認識されていました。そのため実際のところ、現場や経営層での優先度は必ずしも高くなかったと思います。しかし、SBT(Science Based Targets・温室効果ガス排出削減目標)に取り組むお客様からCO2の具体的な削減対応を求められるようになり、それで現場の受け止め方が変わってきました」(岸田氏)

現場から「物流パートナーとして取り組まなければならない。対応できなければ、ビジネスの機会を失うかもしれない」という声が上がり、経営層の危機感も一気に高まった。これらの動きから、2024年から始まった経営計画における重要戦略のひとつに、初めて『サステナビリティ経営の推進』が加わったのだという。

社会やお客様を取り巻く情勢の変化を受け、NXグループは「サステナブル・ソリューションによるお客様の課題解決」を目指し、E2Eお客様のEnd to Endの各工程に応じたプロダクトやソリューションの提供を進めている。

たとえば設計段階においては、サプライチェーンや物流センターの設計などを実施。その際、顧客は「CO2排出量を削減できる設計」を求めており、同社は「CO2排出量の可視化ツール」や「モーダルシフト」で支援する。

また、工場で生産したものを製品在庫として倉庫や国外に運ぶ「生産物流」の工程では、お客様にとって「安定供給」が課題となる。同社は「共同配送」や「誰にもやさしい倉庫」「モーダルコンビネーション」といった方法で、サプライチェーン全体のサステナビリティ向上を支援しているのだという。

物流業界が抱える排出構造と“可視化”の課題

一方で同社は、自社の排出構造に大きな課題を抱えている。

物流業界で特に顕著なのは「Scope3排出量」だ。同社はほぼ全てのCO2排出がScope3に該当し、その中でもカテゴリ4の排出量が全体の61.2%を占める。カテゴリ4の中では海運が45.5%、航空が33.9%、陸送が18.7%となり、陸・海・空のあらゆる方法でのアプローチが求められている。

「Scope1・2は自社が管理する車両・設備に起因する排出ですが、投資・インフラ・運用面の制約が伴い、削減は決して容易ではありません。また、Scope3はグローバルな委託輸送を含むサプライチェーン全体が対象であり、多様な協力会社との連携が必要となることから、排出量把握や削減施策の展開には一層の調整と支援が求められます。EV・FCV導入は有効である一方、コストやインフラ等の課題から進めることが難しいのが実情です。これは物流業界全体の重要課題です」(岸田氏)

制度対応を難しくしていたのは、データ管理の問題でもあった。これまで同社では、統合報告書作成に合わせ年1回、各拠点がExcelでデータを集計。本社が再集計する方式を取っていた。

岸田氏はこれを「バケツリレー方式」と表現する。

「しかしこの『バケツリレー方式』では、手作業でデータを収集・転記する負担が大きく、重複や欠損、精度低下が起きやすくなります。入力にミスがあっても発見が難しく、データ不備があったら現場に直接問い合わせて詳細を確認する……というように、各拠点へのその都度必要になっていました」(岸田氏)
この状況を打開するため、2024年からCO2排出量可視化システム「ASUENE」を導入。各種情報収集業務の省力化と迅速化、グループ各社による自律的な排出量削減の推進を目的とし、現在はグループ企業108社で利用している。

「アスエネ導入によって、グループ企業各社のリアルタイム集計と手作業の削減ができました。データは一元管理されるため、重複や欠損を防止できます。それにより集計のスピードが上がり、精度も向上しました」(岸田氏)

制度対応の先にあるもの

CO2排出量の可視化や目標管理は、顧客からの要請だけでなく、国際的な開示基準の変化とも無縁ではない。

たとえばSSBJ(サステナビリティ基準委員会)では、2028年度実績を2029年度に開示する対象企業として、財務情報と同等の確からしさを持ったデータ開示が求められている。また、NXグループは欧州拠点を有する企業としてCSRD(欧州企業サステナビリティ報告指令)の域外適用となるため、基準に沿った厳格な情報開示を行い、第三者保証を受ける必要がある。

さらに、CDP、DJSI、EcoVadisといった、企業のサステナビリティ・ESGパフォーマンスを評する国際フレームワークへの包括的な対応も避けて通れない。

「サプライチェーンをつなぐハブとして、お客様に対し、正確なCO2排出量データを提供することで責任を果たし、これからも選ばれる物流企業でありたいと思っています」(岸田氏)

もっとも、可視化の基盤が整えば終わりというわけではない。現在、岸田氏は「データの精緻化」と「削減の実装」という、さらに高度な取り組みを見据えている。

「世界中のグループ会社から月次でデータが集まる体制が整いました。しかし、これからは、集まったデータの『確からしさ』をどう高めていくかが重要になります」(岸田氏)

また、真の課題である「排出量の削減」についても、実態としては「まだまだハードルは高い」という。

「陸上輸送におけるEVやFCVは、車両価格やインフラ整備、生産台数の不足などの課題があり、大規模な導入は困難です。それでも、物流のハブを担う我々が投資を止めれば、お客様のサプライチェーン全体の脱炭素化が停滞してしまいます。基準が目まぐるしく変わる中、どのタイミングで何をしていくべきか。経営としての意思決定の精度が問われています」(岸田氏)

さらに、岸田氏は今後の重要課題として「社内のマインドセットの変革」を挙げた。

 「サステナビリティへの活動は、現場から見れば一時的には『コストがかかる』や『手間が増える』と捉えられがちです。しかし、これが『企業として当たり前にやるべき活動である』と発信し、企業全体の認識を変えて、経営層から現場までが、同じように真剣に向き合えるような文化の醸成が必要です」(岸田氏)

こうした取り組みの結果として、SSBJなど厳しい開示基準や法規制への対応につながっていくと岸田氏は強調した。

「巨大組織ゆえの苦労」に質問が集中

講演後の質疑応答では、参加者から「巨大組織ゆえの苦労」に焦点を当てた、具体的かつ切実な質問が寄せられた。とりわけ関心が集まったのは、システム導入後、現場で実際に使われるようになるまでの道のりだ。

岸田氏によれば、NXグループでは契約後の約10か月間を社内教育に充てたという。

「eラーニングで済ませては理解も導入もうまく進まないと考え、オンラインで各国の担当者を集めて、弊部のメンバーがアスエネの実際の操作画面を見せながら、入力の意義を繰り返し説明しました。当初は『年に1回だった仕事が毎月になる』と感じて協力を得るのが難しい現場もありましたが、地道なコミュニケーションを続けて浸透を進めました」(岸田氏)

データの差異があっても、一つひとつ丁寧にフィードバックを返し、現場に寄り添い続けたことが、結果として精度向上につながったと感じているという。

会場からは、国によってインフラや商習慣が異なり、データの回収が困難であるなど、グローバル展開に伴う地域差への対応についても問いが投げかけられた。

電気料金の請求書が翌月に届く国もあれば、数か月後になる国もある。日本と同じ締め切りを設定すれば、物理的に不可能なケースも出てくる。これに対して岸田氏は、「こうしたケースでは、一律のルールを押し付けるのではなく、リージョンごとにガバナンスを効かせているハブ担当者がデータを集約する形をとっています。各国の実態を把握し、遅れる理由を切り分けて対応することが、全社的なガバナンスを機能させるカギになると考えています」と率直に述べていた。

サステナビリティ担当者が共有した“正解のなさ”

イベントの最後には、参加者同士によるラウンドテーブルが行われた。議論の中心にあったのは、「社内への浸透」と「正解のないSSBJ対応」という二つの壁だ。

社内浸透については、経営層に「脱炭素はリスクマネジメントであり、企業価値に直結する」と十分に理解・納得してもらうことの難しさが語られた。顧客からの直接的な要求がまだない企業ほど、SDGsを「他人事」から「自分事」へ転換させるのは容易ではない。現場を動かすための熱量、そして役員報酬やインセンティブ制度との連動など、試行錯誤のプロセスが次々と共有された。

一方、目前に迫るSSBJ対応では、海外拠点のデータ収集や、保証機関によって異なる算定ルールの解釈などをどこまで実施すればいいのかという「ゴールのなさ」に、多くの担当者が「苦しんでいる」と声を揃えた。

それでも、会場の空気は決して重いものではなかった。「他社も同じように悩んでいると知り、ほっとした」「社内では通じない話ができる貴重な機会だった」という声が相次ぎ、孤独な取り組みへの相互理解が進んでいる様子だった。

サステナビリティ推進は、ほんの数名の少人数事務局が、担当者の熱意だけで支えているケースも少なくない。「同じことに取り組んでいる人たち同士の対話は、単純に嬉しい」という言葉もあり、本イベントは、制度対応の知見共有だけでなく、孤軍奮闘する担当者同士の“連帯”を生む場となったようだ。


Upcoming Events

 

今回のラウンドテーブルでは、参加者から
「SSBJ対応、他社はどこまで進んでいるのか」
「社内体制の作り方に正解が見えない」
「保証対応まで考えると、何から着手すべきか整理できていない」
といった、実務を進めるうえでのリアルな悩みが多く共有されました。

6月開催の第二回でも、こうした課題意識を持つプライム上場企業のサステナビリティ推進者同士が、本音で「課題共有」と「意見交換」を行える場をご用意しています。ぜひご参加ください。