脱炭素の必要性は理解している。しかし、人手も時間も足りない。多くの中小企業にとって、これが率直な現実ではないでしょうか。
長崎県佐世保市では、令和7年度に「事業者のCO2見える化事業」を実施しました。ここでは、温室効果ガスの代表格である二酸化炭素のことをCO2と表記します。CO2は地球温暖化の原因となり、世界中でこのCO2の排出量を実質ゼロにする「脱炭素」の取り組みが進められています。本市が実施したこの取り組みは、市内事業者を対象に、自社がどれだけCO2を排出しているかを、電気や燃料の使用量から見える化し、脱炭素経営に取り組む事業です。単なるCO2可視化ツールの導入ではなく、行政が主導し、民間の専門性を組み合わせて伴走型モデルを設計しました。
なぜ“見える化”を支援したのか。その背景と設計思想について、市の担当者に話を聞きました。
脱炭素は、すでに取引条件になり始めている
――まず、市内企業を取り巻く環境の変化について教えてください。
佐世保市は人口約23万人を擁する長崎県第2の都市で、観光業、水産業、製造業などを基幹産業としています。市内事業者の9割以上は中小企業であり、地域経済を支えているのはまさにその中小企業です。
2022年2月にゼロカーボンシティ宣言を行った背景には、世界的な脱炭素化の潮流の中、地域経済の持続可能性を守りたいという強い危機感がありました。
特に、2027年3月期からは、日本の開示基準であるサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が策定したサステナビリティ開示基準への対応が本格化します。これにより、上場企業を中心に、自社だけでなく取引先を含めたCO2排出量の把握や管理が求められるようになります。
大手企業と関わりのある市内の製造業や観光業、さらにはそれらを支える物流や原材料供給を担う中小企業へも波及していくことが想定されます。企業にとっては、こうした脱炭素対応の遅れが取引機会の縮小に直結しかねない、差し迫った課題となっているのです。
しかし、多くの経営者の本音は現実的です。日々の経営が最優先であり、環境対策まで十分なリソースを割けない。人手や資金が限られる中で、脱炭素はどうしても後回しになりがちです。
市としては、中小企業の取り組みが進むかどうかが、市全体の脱炭素化の成否を左右すると考えていました。

補助金やセミナーだけでは、経営は動かなかった
―― 宣言後、どのような施策を展開してきましたか。
これまで佐世保市では、太陽光パネル設置への設備補助や、脱炭素経営に関するセミナー開催などを実施してきました。一定の意識向上や啓発効果はありましたが、次第に課題も見えてきました。
それは、自社の排出状況がどうなっているのか、削減の取り組みは本当に効果が出ているのかを客観的に示せていないという点です。設備導入支援や啓発活動だけでは、中小企業が自分事として、具体的にどんな取り組みを行えばよいかという実感を持ちにくい。脱炭素が「意識」にとどまらず「行動」として定着するには、成果を数値で把握できる仕組みが不可欠だと考えました。
そこで着目したのが「現状把握」です。脱炭素を意識レベルから経営判断へと引き上げるには、まず現状を可視化する必要がある。そうして行き着いたのが、CO2排出量の見える化でした。
電気、ガス、重油、ガソリン。企業が日常的に使用しているエネルギー使用量をもとにCO2排出量は算定できます。つまり、企業がすでに持っている情報から始められるのです。一方で課題は、担当者の算定工数と正確性でした。企業が一般的にExcelで管理・算定する方法では、時間がかかり、属人化しやすく、ミスのリスクも伴います。
そこで佐世保市は、企業に「やるべきだ」と促すのではなく、「始めやすい仕組み」をつくるべく、CO2排出量見える化クラウド「アスエネ」を活用することにしました。

心理的ハードルを下げるため「無料体験」とし、CO2排出量算定や脱炭素経営に興味があるけど一歩踏み出せない事業者が試しやすい仕組みを整えました。
また、CO2排出量算定に必要なデータ入力への不安に対応するべく、システム提供のみならず、入力サポートや脱炭素の基礎知識を学べるe-learning「アスエネアカデミー」の活用まで含めた伴走体制を構築しました。
システムの導入をサポートするだけではなく、実際に使い、理解し、その先の削減アクションにつなげるところまでの体制が重要だと考えています。
“見える化”は、経営の可視化でもある
本事業を佐世保市と進めているアスエネの担当者に、実際に導入を決めた中小企業からの声を聞きました。
――どのような反応がありますか。
排出状況がグラフになって「見える化」され客観的なデータとして把握できるようになったことで、自社のエネルギー使用の現在地が分かりやすくなったという声が寄せられています。何が多く、どこに削減の余地があるのかといった点が、誰が見てもわかるようになったということです。例えば、排出量の多い領域が見える化されたことで、ドライバーが燃費を意識するようになるなど、現場の意識にも少しずつ変化が生まれたという声もあります。
また従来はExcelで請求書や伝票の数値を手入力していた企業も多く、「入力や集計にかかる時間が大幅に削減された」「担当者一人でも無理なく運用できるようになった」という声もあります。事業が多角化している企業ほど排出源の管理は複雑になるため、効率化を実感しているケースが多いです。特に、運送・廃棄物処理など複数の事業を展開する企業では、これまで分散していた排出源のデータを一元的に把握できるようになり、全体像を俯瞰しながら管理できるようになったという声が聞かれます。
CO2排出量の見える化は、単なる気候変動対策ではありません。エネルギーコストの構造を明らかにする取り組みでもあります。CO2排出量は電気や燃料などの使用量と連動しているため、排出量を見える化することで、どの設備や事業活動でエネルギーを多く使っているのかを把握できます。空調や照明の運用方法の見直し、設備の稼働時間の調整など、具体的な改善策の検討につながります。
参画企業からは、自社のCO2排出量を把握できたことで、コスト面からの視点で検討がしやすくなったという評価もいただいています。
こうした「CO2排出量見える化」の効果はさまざまな業種で見られます。例えば製造業では、工場のラインや設備ごとの排出量を把握することで、エネルギーの無駄を発見でき、稼働効率の改善につながるケースがあります。結果として、宿泊業や小売業などでも、空調や照明の使用状況を見直すことで、電力デマンド値が押さえられるなど、エネルギーコストの削減につながる可能性があります。

脱炭素化への一歩は、思っているより小さい
―― 最後に、佐世保市の担当者から事業者へのメッセージを伺いました。
令和7年度限定でトライアルとして実施したこの事業ですが、多くの参加企業に効果を実感していただくことができたと感じております。
脱炭素は特別な企業だけのものではありません。まずは自社の排出量を把握すること。それだけでも、十分に意味のある一歩だと考えています。特に、コスト削減や人材確保などの経営課題をお持ちの事業者にこそ、打開策の一つとして取り入れていただきたい経営戦略です。
壮大な設備投資や複雑な制度対応をする必要はありません。まずは、自社のエネルギー使用量を整理し、CO2排出量を把握すること。その一歩が、経営改善や取引先対応、さらには地域全体の脱炭素化にもつながっていくと考えています。その具体的な方法のひとつとして、「CO2排出量の見える化」のツールを多くの事業者のみなさまに知っていただければと思います。
まとめ
脱炭素と聞くと大きな設備投資を連想しがちですが、本事業が示したのは自社のエネルギー使用状況の把握が経営改善の第一歩になるということでした。CO2排出量の見える化は環境対策であると同時に、コスト構造を把握する手段でもあります。無駄を数値で特定できれば、運用の見直しだけでコスト削減に繋がる可能性があります。まずは現状を知ることが、将来の取引機会を守る鍵となります。今回の事業を機に、市内事業者の間で自立的な脱炭素経営の輪が広がっていくことを期待しています。